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〜300年以上続く俳諧道場、湘南発祥の地を示す史跡〜

≪心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮≫

西行法師が詠んだといわれている歌

平安末期の歌人・西行法師が大磯あたりの海岸を吟遊して詠んだといわれている歌です。
江戸時代初期の 1664 年に小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、西行のこの歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に鴫立沢の標石を建てました。
そして石仏の五智如来像(釈迦・阿弥陀・大日・阿しゅく・宝生の五仏)をこの地に運び草庵を結んだのが始まりです。
その後、紀行家と知られ、俳諧師としても有名であった大淀三千風(おおよどみちかぜ)が鴫立庵主第一世として入庵して以来、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本三大俳諧道場として、現在第二十三世 本井英庵主へと続いています。

鴫立庵の石造物

鴫立庵には80以上もの石造物が安置されています。
以下の石造物以外にも芭蕉句碑、松本順墓碑、佐々木信綱歌碑、西行上人歌碑、西行銀猫碑、歴代庵主の句碑などがあります。


鴫立庵の石造物に刻まれている歴代庵主の句はこちら(PDF)

【五智如来像】

五智如来像

釈迦・阿弥陀・大日・阿しゅく・宝勝(宝生)の五仏を言い、その像は庵の後の丘の上に、東面して並んでいます。最初はこれを本尊として、西行寺などを作るのが目的だったといわれています。

【俳諧道場(秋暮亭)】

俳諧道場(秋暮亭)

日本三大俳諧道場の一つで、1765年三千風入庵後約70年を経て、三世庵主の鳥酔(ちょうすい)が庵を再興した時に増築したものだと言われています。
十畳間には俳諧道場の扁額がかけてあり、鴫立庵の正庵であることを示しています。

【鴫立澤標石】

鴫立澤標石

崇雪が建てた鴫立沢の標石の裏に「著盡湘南清絶地」と刻まれているのが、湘南という言葉の始まりといわれています。湘南という言葉はそもそも中国の湘江の南方一帯の景勝地の称であり、これにちなんで、相模国南部、つまり“相南”が湘南と書かれるようになりました。
「著盡湘南清絶地」とは“清らかですがすがしく、このうえもない所、湘南とは何と素晴らしい所”という意味です。崇雪にとって当時この辺りの海岸が、中国湘江南部の美しい景色と同じように美しい場所であったので碑を刻んだといわれています。

【円位堂】

円位堂

三千風の建てた元禄そのままの建造物で、堂は厚い萱葺の屋根で覆われ、堂内には等身大の西行法師の坐像が安置されています。

【法虎堂】

法虎堂

有髪僧体の虎御前が19歳の姿を写した木造が安置されています。 初代庵主三千風在庵の頃に、堂も木造も江戸吉原から寄進されたと伝えられています。

【比翼塚】

比翼塚

昭和7年5月9日に起きた坂田山の悲恋に知られた相愛の男女二人を弔うために作られました。

銘文
正面 大磯比翼塚 裏面 山王町石藤

【西行祭】

西行祭

毎年、三月末の日曜日に西行を奉る「円位堂」の前で西行祭が盛大におこなわれます。
琴の演奏や俳句・短歌の披講、また西行祭のために全国から応募された俳句・短歌の表彰などもおこなわれます。


過去の入選句

【三千風忌】

初代庵主「大淀三千風」は、寛永16年(1639年)に生まれ、元禄8年(1695年)57歳の時、鴫立庵に入庵し再興しました。
宝永4年(1707年)1月8日(新暦では2月10日)、69歳で亡くなるまでの13年間、在庵。
三千風を偲び 、2月の第2木曜日に「三千風忌」を開催いたします。

 

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